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タイトルで「?!」と思った方。
その反応は正常だと思います。

少しだけわかりにくい
例えをしてみました。

包丁に例えた理由は一つ。

包丁は使い方次第で、
料理を作ることで誰かを幸せにできるし
誰かを傷つけることもできる
という2面を持ち合わせているから。

これは文章や言葉にも言えることだと
思っています。

私がフォローしている人は
みなさん基本文章能力が
高い人ばかり。

逆に文章能力が低い人がいません。

その中でも
言葉で誰かを幸せにしようとしている
という気持ちが伝わる発信を
されている方が3名います。

①Nobelさん
②飯田ゆきさん
③アカキンさん

この3名の方がツイートしている内容は
全く別々のジャンルですが、
  • 基本きれいな言葉を使うことで
    読者に不快感を与えないようにしている
  • マウントを取るスタンスが垣間見える表現や
    他人への直接的批判・中傷はしていない
  • 仮に間違っていることがあったとしても、
    批判や中傷ではなく、
    客観性があり優しい言葉による
    意見や助言で対応している
といった共通点があることを発見しました。

誰かを傷付けず、
誰かを幸せにしようとする姿勢が
文章からすごく伝わるので
見ている側の不快感が一切ありません。

そしてこの姿勢は我々のような
文章や言葉を扱う人は
全員見習うべきことなのです。

残念なことに、
表面上はこのような姿勢を取り、
実際には人を不快にさせる
批判や中傷に該当する
文章を書き続けている人が
一定数いるのも実情としてあります。

批判や中傷を書いている本人自体は
吐き出したことで
すっきりしているでしょうし、
本人自体は満足していることでしょう。

しかし、その文章は果たして
その人の文章を目にする
フォロワーの方々を幸せにする
と思いますか?私は思いません。

吐き出したいなら
クローズドな場所で
吐き出せばいいものを
Twitterやブログなどのオープンな場で
文章に可視化し
フォロワーの目に晒すというのは
一種の暴力ではないのか?
そう、ふと思いました。

このような考えに至れたのは、
こういったマイナスな表現で
情報発信をしている人がいた
おかげでもあるので
その点は感謝しています。

だからといって、
お手本にしたいとは一切思いませんし、
そういった文章は目にしたくありません。

どうせなら、人を幸せにさせる
文章を目に焼き付けて
生きていきたいものです。

私も文章で情報発信をする人間として、
今一度自分の文章能力や語彙力の確認や
コピーライティングについての学習を
深めていかねばと自戒を念を抱いた、
そんな体育の日の朝でした。

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人を操る禁断の文章術
メンタリストDaiGo
かんき出版
2015-01-21